責任のないものに責任は取れない

最近、「責任」という言葉をよく目にするようになった気がします。

「責任ある立場の人間がどうして…」
「親の責任を一体どう考えているのか…」
「責任を取って辞めるべきだ!」

責任ある立場の人間による不祥事が増えたからでしょうか。
今日も横浜市教育委員会教育長の発言が物議を醸し、大炎上。

「とても責任ある立場の人間の発言とは思えない…」

確かにそのとおりなのだが、ふと考える。

“なぜ、責任ある立場に立つ人間が、そんな無責任な言動をしてしまうのだろうか”

責任、責任って言うけれど

そもそも「責任」とは一体何なのだろう。
今まであまり気にしてこなかったのですがググることに。
そうしたらウィキペディアにこのような記載が。

※一部引用
責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。
自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。
責任と自由は常に同時に存在し、切り離すことは出来ない。
自由の無いところに責任は存在せず、責任の無いところに自由は存在しない、とされる。

“自由の無いところに責任は存在せず、責任の無いところに自由は存在しない”

この一行が「責任のすべて」じゃないかと。

責任のある立場だったとしても、自由がないから無責任な行動を取る

責任のある立場に就いた人間だとしても、自由であるとは限りません。
選択をする余地もなく責任者に任命されることもあるでしょう。
「やるかやらないか」を選択ができるとしても、半ば強制的なことが往々にしてあることは言うまでもない。

責任を取る覚悟が出来ていない人間に「責任を取れ」と言ったところでどうしようもない。
自由意志で責任を取る立場に就いたのならともかく、“別のチカラ”が働いたのなら本人も不本意極まりないでしょう。

だから、責任のある立場にいながら「他人のせい」にしたり、言い訳したり。
端から見ると理解不能な言動に走ってしまうのじゃないかと。

つまり、「なりたくてなったんじゃないもーん」といったところでしょうか。

本当に責任ある立場の人間なのか

もし、責任ある立場の人間が、責任を取るべき行動を犯したとき。
そこに「自由」があったのか、という視点で見ると浮き彫りになるものがありそうです。
場合によっては、他に責任を取るべき人間がいるのかもしれません。
おそらく、それを見越してあえて責任ある立場に就かなかった人間が…。

いずれにせよ、「責任ある立場」というただそれだけで「責任を取れ」と糾弾するのは早計なのかもしれません。
そこに“自由な意志”があってはじめて責任を追及することができるのじゃないでしょうか。

さいごに

私もひとりとはいえ司法書士事務所の代表として責任を取るべき立場の人間です。
もちろんこれまで責任を取ったことはありません。
ただ、責任を取る覚悟はできています。
そうじゃなければ独立してやろうなんて思いません。
つまり、自由な意思で選択しています。

逆に言えば、その覚悟ができているからこそ「責任を取る事態が発生していない」のかもしれません。
責任を取る立場に身を置くからこそ、お客様に無責任な行動はしないのだと。

…とは言ってもミスはしますけどね。

銀行の応接室で平謝りして始末書書いたこともありますし。
いや、今思い出しても恐怖ですよ。
もう二度と経験したくないです。。。

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