友達の友達だから友達というわけではない

「共通の友達が多かったので申請させていただきました!」
フェイスブックでたまにこんなにメッセージをいただく。
友達の友達は友達ということなのだろうか。
ハッキリ言って謎すぎる論理である。

共通の友達が多い、だから何なのか

「共通の友達が多いから仲良くなろう!」というのは一体どんな思考回路なのか。
私にはちょっとよくわからない。

そんな論理が成り立つなら全世界の全人類が友達だ。
顔も存在も知らないどこかの誰かが友達なんて絶対おかしい。

そもそも本当に友達と呼べる存在はどんなに頑張っても両手で数えるほどじゃないだろうか。
私の場合は片手で充分だが…

そもそも、その友達にとても失礼であることを認識しているのか

一応、共通の友達は存在する、ということはわかった。
それで、「共通の友達が存在するから、あなたとも友達になりたい」というメッセージを送る。
この行為は、いわばその共通の友達を“ダシにして”友達申請をするということになる。

この行為を、その共通の友達が知ったらどう思うだろうか。
そもそも、この方法で友達を増やしていったとしたら共通の友達は増えてしかるべき。
当たり前といえば当たり前のことだ。

もし、私が知らないところで「佐藤さんと友達なんですね、私も友達なので、ぜひあなたとも友達になりたいです!」なんてメッセージを私の“大切な友達”に送っていることを知ったら発狂するだろう。
まあ、そんなひとはいないと思うが…

共通の友達でわかることがある

フェイスブックの共通の友達という機能。
これはもの凄く便利な機能だ。

なぜか。

共通の友達を見れば、“何系のひと”か一目瞭然だからだ。

「ああ、このコミュニティに所属しているひとだな」
「ああ、司法書士なんだな」
「ああ、地元のつながりなんだな」
「ああ、ネットワーク系のひとなんだな笑」

全部わかる。
共通の友達で判断されると言って過言ではない。

だからこそ。

「承認する友達は選ばないとダメなんだよ」ということ。
自分の名前でビジネスをしているひとならなおさら。

あなたの知らないところで「共通の友達」によって属性を判断されているかもしれない…

さいごに

いつもは「ですます調」ですが、今日は「だである調」にしてみました。
違和感ありました?

今日のテーマ。
考え方はひとそれぞれだと思います。
フェイスブックの利用目的がそのひとによって違う以上、価値観の違いもあって当然なのです。

要するに、自分のルールをちゃんと設定しておかないとツールに踊らされてしまうのです。
「SNS疲れ」は相手に合わせてしまうことで起きるものです。

人付き合いは鏡だと私は思います。
自分自身と、現在懇意にしている人間関係は鏡のようにお互いを映しています。

いわゆる「引き寄せの法則」ですね。
つまり、「そのひとのことが知りたかったら、周りの人間関係を観察すればよい」ということになります。

それが、フェイスブックの共通の友達を観察されて判断されるとしたら?
誰からの友達申請でも無条件に承認しますか?

ということです。

フェイスブック。日本語にすると「顔本」
まさにあなたの“顔”が“本”になっているツールだと思いませんか?

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