なぜ、宮城にあるド田舎の高校から同志社大学に進学できたのか

私は同志社大学経済学部の出身です。
ひきこもりでしたが今でも愛着はあります。
大学ラグビーは毎年応援しますし、「カズレーザー頑張れ」と『Qさま!!』をいつも見ています。
たまに「立命館」と間違われると心のなかで「チッ」ってなります。

そんな同志社大学。
入りたくて入ったわけではありませんが、ド田舎の高校から現役で進学するのにはかなりの努力と工夫が必要でした。

というか、そもそも地元では同志社大学の知名度が低すぎて、「なんでそんな大学に行くの?」という感じでした。
「親父が行けって言うから」とは口が裂けても言えず…。

「なぜ、ド田舎の高校から同志社大学に合格できたのか」
今では学歴なんてどうでもいい世界に身を置いていますが、「過去を振り返る」ということで当時を思い出しながら書きますね。

予備校に通えない

独学です。予備校には通いませんでした。
正確には通えませんでした。

というのも予備校に行くためには仙台まで行かないとダメだからです。
地元栗原市から仙台は結構遠い。

めんどくさがり屋の私には仙台まで通うというのはありえないことでした。
だから勉強するには独学しかない。

ちなみに我が母校、岩ケ崎高校は至って普通の高校だったので、現役でそれなりの大学に進学しようと思ったらそれ相応の努力が必要でした。
(現在はわかりません)

それで私は、その進学の事実について父親から言われていて理解していたので“高校には頼らずに”受験勉強をすることに。

それで予備校が身近には存在しなかったので、参考書や問題集を買って独学でやることにしました。
これが私の独学のベースになっています。(司法書士試験も独学)

「どうしたら現役で、父親が納得するレベルの大学に合格できるのか」
これが至上命題でした。

「この高校でどうやったら現役で受かるのさ…」というのが正直な気持ちでしたが、そこは考えても仕方がない。
私がまずはじめたのは「方向性を明確にすること」でした。

目的の達成のために不要なものを捨てる

宮城で進学というとまずは「東北大学」というのが選択肢のひとつになります。
しかし、東北大学は国立です。
つまり、センター試験を避けて通ることができません。

当時、まだ文系科目・理系科目バランス良く点数を取れていた私ですが、「このままだと無理だ」と判断。
私立文系に目標を絞ることにしました。
しかも「英語・国語・世界史」の三科目だけ。
日本史や地理も捨てました。

必修科目ということで授業では倫理だ政治経済だ数学だってありましたがすべてを捨てる。
教育上の良し悪しは置いといて、すべての時間を上記三科目の勉強に費やしました。(当時の先生ごめんなさい)

私が現役で合格できた理由は、この「選択と集中」がすべてです。
目的のためには手段を選ばず。
担任の先生には「すみませんがこの高校に頼るつもりはありません」なんて生意気なことを言ったと思っています。

【生意気な高校時代の良基】
大学受験

三科目以外のすべてを捨てて、勉強に集中すれば何とかなるもの。
あとはいわゆる“赤本”を買って「傾向と対策」を勉強するだけです。

さいごに

同志社大学に進学したのは、父親が「ここを受けろ」と命令をした10校中5校合格した中で一番偏差値が高い大学だからでした。
それだけです。
京都に行きたかったからでも、新島襄が好きだったからでも何でもありません。

こんな書き方をしていますが、父親には本当に感謝しています。
当時の私には「自分で選び、自分で行動する」という能力がまったくありませんでした。

「敷いたもらったレールでも、敷いてもらうだけありがたく思え。」
コンプレックスに思った時期もありましたが、今はそう思います。

自分が父親となった今、子どものためにレールを敷く難しさも痛感しています。
「やりたいようにやればいい」というのは実はある種の育児放棄なのでは、と。

そういう意味で、父親が敷いてくれたレールを脱線せずに通ることができたということは、それはそれで親孝行だったのかな、と今は思います。
そして、これからできる親孝行は何なのか。

それは「私が歩みたい道を歩んでいくこと」。
その姿を、遠くからでも見てもらえるように大きな存在になりたいものです。

最後に生意気な良基。

大学受験

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