友達の非日常に一喜一憂している場合ではない

今日はSNSとの付き合い方について。
特にFacebookですね。まだまだSNSの世界では第一線を突っ走っているツールです。
生活の一部になっているからこそ、上手に付き合いたいものです。

友達の投稿に一喜一憂

セミナー開催が大成功。
異業種交流会が大成功。
超楽しそうな飲み会イェーイ。
仕事受注できたぜイェイ。
海外来ちゃったウェイウェイ。

これらの投稿、よく目にします。
凄いなあ、頑張ってるなあ、うらやましいなあ。

でも、俺は…。

友達の投稿に一喜一憂。
そんな投稿がタイムラインにズラリと並ぶ。
リア充な友達と自分を比較して凹んだり、なにくそって思ったり。
そんな卑屈な自分がイヤになったり。

はい、以前の私がそうでした。

日常の当たり前は誰も投稿しない

では、自分がどういった内容を投稿しているか考えてみてください。

…。…。

非日常の出来事がほとんどじゃないでしょうか。
非日常の、楽しいそして刺激がある出来事だから投稿するのじゃないでしょうか。
非日常の出来事だからこそ、投稿して友達に見てほしいのじゃないでしょうか。

当たり前の日常すぎる出来事を投稿しているひと、めったに見ません。

歯を磨いてるとか。夕食の買い出しとか。
当たり前過ぎて投稿しないはずです。

つまり、タイムラインに並んでいるものは、友達の「非日常」なのです。

他人の非日常に一喜一憂する虚しさ

そうすると、他人の非日常で起きている出来事と自分の日常とを比較して一喜一憂することになります。
そらあ自分には何もなさ過ぎて凹むでしょう。
自分は日常ですから。

しかし、タイムラインにいる友達にも日常は存在します、当然に。
アップしている非日常はとても楽しく、とても刺激的な投稿かもしれません。
でもきっと、日常はあなたと同じ日常です。

ケンカしたり、クレーム言われたり、やることがなくボーッとしてたり。
普通にひとりでご飯を食べ、仕事をこなし、通勤しています。
タイムラインには出てこないだけで。

非日常はごくごく一部

冷静に考えれば、タイムラインの投稿に一喜一憂することがいかに無駄なことかわかります。
みんなそんなに四六時中ウェイウェイしてない。

投稿している部分は自分が見せたいごくごく一部。
誰にも見せたくない、見られたくない部分は誰だってあります。

そこに目を向けずに「あいつはリア充でいいな」と決めつけるのは実に安易な評価です。
リア充に見えるひとこそ、見えない部分で苦労したり努力したりもがいていたり。
日常で死ぬほど努力や苦労をしているからこそ、非日常の投稿が光り輝いて見えます。

そう考えると、違った意味で「自分ももっと頑張らなきゃ」と思えるのじゃないでしょうか。

さいごに

そもそも、「誰かと比較して」でしか自分の幸せを確認できないのは少しさびしい。
幸せは誰かに勝った負けたではない絶対的なものだと思うから。

幸せを感じられないのであれば、まずは「自分だけの幸せの定義」を決めたいものですね。

毎週木曜日朝8時メールマガジン『週刊リョウキジ』配信中!

類似の記事:

人気の記事:

はてなブックマーク - 友達の非日常に一喜一憂している場合ではない
Pocket