「お前が言うな」は本当に“お前”が言ってはいけないのか

過去に事件を起こしたひとが同じ事件についてコメントすると…

「お前が言うな」

過去に大きな失敗を犯してしまったひとが類似の件についてコメントすると…

「お前が言うな」

このように「お前が言うな」を目にする機会が増えています。
週刊文春のおかげでしょうか。
今年はスキャンダルや不祥事が例年になく暴かれています。

関係者がコメントを求められている姿をテレビでもよく目にします。
マスコミもまったく関係ない人物にコメントを求めても仕方がない…
ということで過去に同じような不祥事や事象を起こしたひとに焦点を当ててコメントを求めに行くのでしょう。

そうするとどうしても起きてしまうのが…

「お前が言うな」です。

「お前が言うな」は本当にお前が言っちゃいけないのか?

でもこの世の中で失敗したことがないひとはいるのでしょうか。
魔が差してやってしまったこと、どうしても仕方がなくやってしまったこと。
少なからず存在するのが人間なんじゃないでしょうか。
(犯罪を許容するつもりはないです、もちろん)

そう考えると「なぜそうなるに至ったのか」が重要。
これは経験者じゃないとわかりません。
失敗したひとじゃないとわからないと思うのです。

『しくじり先生』という人気番組があります。
自らと同じ失敗を犯す人たちが増えないよう、“しくじり先生”が授業形式で行う番組です。
この番組が深夜からゴールデンに進出し、視聴者に受け入れられている理由は“失敗したひとじゃないとわからない”ところにあるからだと思います。

過去の犯罪行為や事件で人生を棒に振ってしまったひとだからこそ言えることがある。
私はそう思っています。

「意見」と「人格」を切り離して考える

私が常に注意していることが「意見」と「人格」を切り離して考える、ということです。

Aさんのことは好き、Bさんのことは嫌い。
そうするとAさんの言うことはすべて正しい。Bさんの言うことはすべて間違い。
こうなりがちです。

しかし、実際はそうじゃない。
“人格”に引っ張られているにすぎないのです。

これはすごく危険。

例えば相手が前科持ちだというだけで発言や思想がすべて否定される。
これではまともな世の中とはいえません。
更生したいと思っても更生させない環境であってはならないと思うのです。

私がもし誰かの話を聞いてみたいと思うならば、そのひとが失敗したときの話を聞きたいです。
過去の失敗を伝えるというのは自分の中で昇華ができていないと難しいからです。

【参考過去記事】
『なんだかんだで笑って話せる失敗談があるひとが好かれる』
⇒ http://ryoki-blog.net/2015/01/entry4244.html

私も誰かに何かを伝えるならば、きっと失敗したことを伝えると思います。

「あなただから聞きたい」

「お前が言うな」の対義語は「あなただから聞きたい」じゃないでしょうか。

SMAPの草なぎ剛さんや元サッカー選手の前園真聖さんが良い例です。
彼らがお酒についての教訓を語ってくれるとしたらきっと「あなただから聞きたい」と思うのじゃないでしょうか。

「お前が言うな」と言われるのか
「あなただから聞きたい」と言われるのか

この違いはきっとそのひとの“その後”でしょう。
“その後”を自分自身がどう捉え、どう考え、どう行動し、どう生きていくか。

その姿を周りがしっかりと見ている。
その結果が「お前が言うな」なのか「あなただから聞きたい」なのか。

「お前が言うな」
と言われるうちはきっとまだまだなのかもしれません。

“その後”に信用と信頼をしっかりと回復することができたなら。
「お前が言うな」が「あなただから聞きたい」に変化するのかもしれませんね。

※「なぎ」は弓へんに前の旧字体その下に刀

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